駒沢女子大学 駒沢女子短期大学

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日本文化の窓

ようこそ!!日本文化 ーオープンキャンパス・オンラインー


7月・8月の体験授業は「日本文化再発見」というテーマで行いました。

7月12日(土) 遊ぶ日本文化  百人一首の楽しみ/良寛さんの遊び
7月20日(日) 海の日本文化  コメと日本人/海の神さまを考える
7月26日(土) 恋する日本文化 風の恋歌/恋愛が人を成長させる?
8月 2日(土) 祈る日本文化  縄文人の祈り/夏祭りと日本人
8月 9日(土) 夢見る日本文化 いにしえ人の夢/漱石の見た夢・語る夢
8月16日(土) 心の日本文化  万葉びとの「こころ」/坐の「こころ」
8月30日(土) 食べる日本文化 縄文人の食生活/料理のオノマトペ

この中から7月20日に行われた体験授業をご紹介しましょう。(2008年11月7日)

海の日本文化


コメと日本人 (小川 誠)

 日本は周りを海に囲まれた島国です。外来文化を取り入れたり、日本固有の文化を国外に伝えたりする際、そこには海が立ちはだかっていました。文化の往来に海は障壁となったのでしょうか。日本人の主食であるコメを題材にしてこの問題について考えてみました。



海の神さまを考える(千葉 公慈)

 海洋国である日本には、海から渡ってきた神さまや、海中から発見された仏像が多くまつられています。江戸時代に庶民の信仰をあつめた浅草寺のご本尊も、漁師の網にかかった仏像と伝えられます。恵比寿信仰や竜宮譚など、日本の精神文化を通して命のふるさとの「海」についてお話しました。




この中から7月26日に行われた体験授業をご紹介しましょう。(2008年10月7日)

恋する日本文化


風の恋歌 (三田 誠司)

 「恋」はいつの時代でも苦しいものです。『万葉集』の歌人、額田王(ぬかたのおおきみ)は、天智天皇を偲んで次のような歌を残しています。

 君待つと我が恋ひ居れば我がやどの簾動かし秋の風吹く

 あなたを待つ用意を整えて、さて、いつ来て下さるかと恋しがりながら遅くまで起きていると、私の住まいの簾を動かして…、おや、秋の風が吹いてきました。そんな意味の一首です。簾を動かしたのは、来て欲しいあなたではなく、風…。額田王のため息が聞えてきそうです。

 私は、以前、この歌を夕方に詠まれた歌だと勘違いしていました。庭には萩の花が咲いて、遠くから雁の声が聞えて、美しい額田王が部屋の中で静かに天皇を待っている、そんな情景を頭に描いていたのです。でも、ある時気づきました。これは夜の歌ですよね。夜だからこそ、簾の向こうが見えないのです。そこで、「あの人かしら」とときめくわけです。夕方なら簾の向こうに誰もいないことはすぐに分かってしまいます。  この歌を聞いた鏡王女(かがみのおおきみ)は次のような歌を作りました。

 風をだに恋ふるは羨(とも)し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ

 風を通してでも、人を恋しく思えるなんてうらやましいわ。風だけでも来ると思って待つのなら、何を嘆くことがありましょう…。鏡王女は、額田王の姉ではなかったかという説があります。鏡王女の歌には「うちには風さえも来てくれないのよ」と嘆きつつ、姉として妹の寂しさを思いやる気持ちがこもっているように思えるのですが、いかがでしょうか。歌の解釈は難しいものですが、そこにこそ歌を読むおもしろさがあります。


恋愛が人を成長させる?(安藤 嘉則)

 多感な青春時代において恋愛という経験は甘く切ない時間であり、また一つの精神的試練でもあります。恋が成就する、しないにかかわらず、その真剣な想いが何らかの形で人を成長させていくということは確かにあると思います。

・・・人は恋愛をすれば確かに精神的に成長するであろうが、それが成長のための恋愛であれば、それはエクスペリメント(実験)にすぎない。・・・

 大正時代、旧制高校の学生が愛読した阿部次郎の『三太郎の日記』にこのような趣旨のことが述べられています。真の恋愛体験は結果として精神的な成長をもたらすが、もし精神的な成長を目的とした恋愛ならば、それは本物の恋愛ではないということです。

 これは恋愛に限らず私たちの行い全般にわたってもいえるのではないでしょうか。つまり手段としてものごとを行っている限り本物ではない、と。

 全国で高校球児たちが甲子園出場を目指して一生懸命練習しています。もし甲子園が目的で練習がそのための手段と考えるならば、予選での敗戦によってそれまでの練習はすべて徒労で無駄なこととなるでしょう。しかしはたしてそうでしょうか?

 「平常心是れ道(平常の心に真実の道はあり)」という禅の言葉があります。それは高校野球でいうならば、毎日泥まみれになって練習し、汗を流したその「平常」のところに大切な意味がある、ということを示しているのです。

 恋愛や人との出逢いもしかり。本当に人を愛している人には、自身が成長するなどといった目的意識はないはずです。目的意識をもった恋愛、その結果に振り回される恋愛は苦しみをもたらし危険なのかもしれません。




8月2日に行われた体験授業です。

祈る日本文化


縄文時代の祈り(小川 誠)

 縄文人は決して原始的な人間ではありません。現代人と同じく、豊かなイメージの世界や創造性を身に付けていました。その証拠に、縄文時代の人々は、衣食住にかかわる日常的なもの、いわゆる生活必需品以外に、祈りや祭りとの結び付きが強い非日常的なものを残しています。考古学では、後者を材料にして縄文人の祈りの実態を復元していきます。

 二つほど例をあげてみましょう。一つは足形付土版です。これは、粘土板に子供の足形を押して焼き上げたものです。今でも子供が生まれたり、誕生日を迎えたりすると、足形を色紙に残すご家庭がありますね。縄文人も同じです。ここからは、祈りとはいえないまでも、縄文人の子供に対する思いがひしひしと伝わってきます。

 二つめは土偶です。土偶は縄文人が作成した土製の女性像(土人形)です。国宝級のものも含め、さまざまなかたちの土偶が出土しています。おもしろいことに、それらはあらかじめ、手足や胴体が壊れやすいように作られていました。この製作上に見られる特殊性と、ここでは省きますが出土情況から、女性像である小型の土偶を破壊しながら捨てる、あるいは集団の祭りのあと大型の土偶を破壊してから安置するといった、祭祀の存在が浮かび上がってきます。破壊は死を意味します。そこには、死することにより新生を願う縄文人の祈りが存在していたのではないでしょうか。

 日本文化の根底の一翼を担っている縄文文化。そこに存在した祈りの実態を解明することにより、日本文化の本質を考えていくことができます。


夏祭りと日本人(千葉 公慈)

 日本の夏は、全国でさまざまな祭りが催されます。祭りばやしや打ち上げ花火、そして夜店のにぎわいに心ときめかせた幼い頃…。日本人にとって、祭りは日常をふり返る大切なひとときです。全国の夏祭りという伝統行事を学ぶことによって、人間の営みである「祈り」にはどのような意味があるのかを考えてみましょう。

 祭りには大別すると、「祓(はら)い」や「禊(みそ)ぎ」などの祈祷を中心にした天災や疫病の流行を鎮める都市部型の祭りと、「五穀豊穣」や「祖先崇拝」などの報恩感謝を中心にした収穫祭的な要素をもつ農村部型の祭りとがあるようです。祇園祭や両国花火大会といった夏の祭りは、前者の都市部型の祭事になります。一方、後者の農村部型としては、種蒔きから田植え、稲刈りに至る祈りの行事として春・秋祭りが当てはまるでしょう。

 日本人にとって、祭りはその季節の願いの形として受け継がれてきました。そこには自然へのおそれや感謝、あるいは生命の源である祖先に対する報恩の心などが込められています。こうした伝統行事を知ることからも日本人の心の歴史が学べるのです。