神田神社と江戸城を廻る旅

日本史演習の下川ゼミでは、17世紀前半の江戸の町を描いた『江戸図屏風』を素材に、江戸の町について考えています。今回、この屏風に描かれた神田明神(現神田神社)と江戸城本丸跡(現皇居東御苑)とその周辺を廻りました。

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巡見当日は、JR御茶ノ水駅に集合し、駅近くの聖橋を渡り、儒教の孔子を祀る湯島聖堂に立ち寄り、その後神田神社に向かいました。神田神社は、江戸時代には神田明神といわれ、江戸の総鎮守として将軍家や江戸町民から信仰を受けた神社でした。また東京の大手町の近くにある平将門の首塚も、現在、神田神社の三の宮として鎮座しています。『江戸図屏風』では、神田明神の立地や建物の規模が分かりにくいのですが、実際に訪ねてみると、坂の上の高台に立地していることや、屏風に描かれた境内や門前の様子が現在でも屏風の描写とほぼ変わらないことに感動しました。

神田神社からしばらく歩くと、お茶の水記念碑があります。ここは『江戸図屏風』にも描かれている高林寺がかつて存在した場所で、境内の井戸水は将軍家御用のお茶の水として毎日献上されていました。これが御茶ノ水という地名の由来ともなっています。

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昼食は、老舗の天ぷら屋さんで美味しい天丼を食べた後、江戸城本丸跡へ向かいました。江戸城本丸跡は、現在、皇居の東御苑となっています。皇居北側の平川門から急な坂道を上ると、明暦の大火で焼失してしまった天守閣の石垣が見えてきます。これだけ壮大な天守台を築くには、現代の技術を駆使しても、かなり大掛かりな工事になると思いますが、きれいに積まれた石垣から、江戸時代の技術力の高さを垣間見ることができました。

本丸跡に行くと、そこには広大な芝生の公園が広がっていました。『江戸図屏風』に描かれた建物はすでにありませんが、大奥や松の廊下のあった場所に行くと、教室の授業とは違った歴史の学びの醍醐味を感じました。

ゼミの授業でどこかへ出かけるのは初めてのことでしたが、普段話す機会の少ない人ともコミュニケーションがとれて、とても楽しい一日を過ごすことができました。

日本文化学科4年 静居絵里菜 須藤涼子 萩原祥子 村田あゆみ

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