〈入門!日本の文化〉「日本文化の源流を知ろう」(5月31日(土)の体験授業)

 みなさん、こんにちは!日本文化学科4年の百瀬さくらです。ついに今年度のオープンキャンパスがスタートしました。今回は、5月31日に行われた第1回目の体験授業「日本文化の源流を知ろう」のリポートです。
さっそく担当の小川先生にインタビューしていきましょう!

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百瀬:小川先生、こんにちは!今回のテーマは「日本文化の源流」ということですが、縄文時代の日本列島に四季は存在したのですか?

小川:縄文時代の開始当初は気候も寒く、四季があったかどうかよくわかりません。しかし、日本列島が徐々に温暖化し、木々の種類が広葉樹主体に変化していった段階では、あきらかに四季の存在を認めることができます。

百瀬:では、縄文人は四季を意識した生活を送っていたのでしょうか?

小川:そのとおりです。縄文人が現代人のように、
1週間や1ヶ月の区切りに従って生活していたことは考えにくいのですが、寒くなり暑くなりまた寒くなるという気候の循環、昼間の長さが短くなり長くなりまた短くなるという日照の変化を意識していたことは間違いないでしょう。

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百瀬:そうなのですね!どのようなところから四季を意識した生活を送っていたことが分かるのですか?

小川:ひとつは、当時のゴミ捨て場である貝塚の丹念な調査により、縄文人が季節を意識して食料を調達していた様子がよくわかります。宮城県のとある貝塚の場合、春にはアサリやイワシ、夏にはアジやサバ、秋にはドングリなどの木の実やオニグルミ、冬になるとシカやイノシシを食べた痕跡がうかがえます。季節の鑑定は、アサリの貝殻に残された成長線などをたよりにして識別します。近頃盛んに、旬の食材を食べましょうといわれますが、縄文人はまさにそれを実践していたことになりますね。

百瀬:縄文人も旬の食材を食べていたのですね!その他に考古学的な資料はありますか?

小川:はい、あります。縄文人は石を集めて環状に並べた構築物(ストーンサークル)を作っていました。それ自体の用途はよくわかっていないのですが、例えば、秋田県の大湯遺跡の場合、ストーンサークルが2つ並んで造営されています。それぞれの内部に、石を立てた「日時計状組石」というものが見られるのですが、それを結ぶ直線が夏至の日の日没線上に重なることはよく知られています。これは、縄文人が太陽の運行に注意をはらい、夏至、冬至、春分、秋分など季節の変わり目を意識していたことをあらわしています。日常生活ばかりでなく、精神生活においても四季の変化は影響を及ぼしていたことになります。四季の移り変わりは日本の伝統文化を育んできました。その源流はこのようなところにあるのかもしれませんね。

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百瀬:小川先生、ありがとうございました!日本人は縄文時代から四季を巧みに利用して生活していたことがよく分かりました。みなさんも旬の食材を食べるなどして四季を感じ、日本文化の源流に触れてみてはいかがでしょう?
以上、日本文化学科4年・百瀬さくらのリポートでした。次回もお楽しみに☆

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