「源氏物語」の1年

池田節子

成人式はもともと小正月の1月15日に行われていましたが、ハッピーマンデー制度により、1月の第2月曜日になりました。成人を祝うのは年初がふさわしいという発想があるようです。結婚式も普通はクリスマスを過ぎてからは行わないことでしょう。ところが、平安時代はおめでたい行事を12月、それも20日過ぎに行うことが非常に多く、紫式部が初めて中宮彰子のもとに出仕したのも12月29日のことです。
さて、「源氏物語」において、何月にどういう出来事が設定されているかということについては、興味深い傾向があります。ほとんどの人物が春に生まれ、秋に死にます。元服・裳着(成人式)は圧倒的に2月、出家はほぼ秋以降に設定されています。「源氏物語」では、季節と人の一生が重ね合わされているのです。
例外もあり、藤壺は2月に亡くなります。源氏は、念誦堂に籠もり「今年ばかりは」(引き歌があり、「桜よ今年だけは墨染に咲け」の意)と独り言を口ずさみます。この年は、天変地異がしきりに起こり、太政大臣と式部卿宮も亡くなります。天のさとしと恐れた夜居の僧都は冷泉帝に出生の秘密を奏上します。人は秋に死ぬという原則があるために、藤壺たちの死の時間が特別になり、物語の重大な局面を展開させることになります。

人の一生と月日の重ね合わせは、このような「点」の時間だけではありません。明石一族関係の主要な出来事は2、3月に集中しています。また、宇治十帖では、薫と大君関係のことはほぼ8月以降で、宇治の春は匂宮と中の君関係のことで占められています。つまり、子孫が繁栄する人たちと不毛な愛に生きた人たちは時間を区別して描かれています。
薄雲巻冒頭は「冬になりゆくままに」から始まり、「雪、霰がちに、心細さまさりて」と、寒々とした大堰川(現在の嵐山近辺)の風物を背景に、明石の君は、明石の姫君を紫の上の養女にする決心をして、姫君と別れます。一方、「年も返りぬ。うららかなる空に、思ふことなき御ありさまはいとどめでたく」と、明石の姫君を迎え入れた光源氏と紫の上の様子は新年の明るさの中で描かれます。
人の一生と1年の月日を重ね合わせ、明るいことは春、暗いことは秋から冬に設定することは、日本古来の発想ではなく中国思想の影響です。中国の『礼記』「月令」では、それぞれの月に行うべきことを細かく定めています。例えば、死刑は秋以降に執行しなければならないとあります。死刑は樹木繁茂の季節を避けるという考え方です。『律令』にも同じ条文がありますが、実際はうやむやになっていました。我が国の場合、人の一生と季節を対応させる意識は希薄だったと思われます。紫式部は漢詩文を血肉化していました。
ところで、1年のうち、5月、6月、7月が「源氏物語」の時間になることは限られており、少ないがゆえに特別な時間になっています。5月、6月、7月は、源氏が須磨に退去した1年、紫の上死後の1年などに現れます。歌を多く含み、淡々と時間が流れ、話の切れ目、幕間といった役割を果たしています。事件が生起する内在的な時間と淡々と流れる外在的な時間、「源氏物語」の時間は二重化されているといえましょう。

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