稲荷神に助けられた道元禅師

曹洞宗の開祖、道元禅師とともに、中国へ渡った人物とされる木下道正(きのした どうしょう)がいます。帰国後、道正は曹洞宗と深い関わりのある寺院を京都に開きました。それが道正庵です。現在も、京都市上京区道正町にその旧跡の木下家があります。

江戸時代の道正庵は、全国の曹洞宗寺院の僧侶にとってなくてはならない存在でした。曹洞宗の僧侶が、正式な僧侶となるために、朝廷に参内し、天皇から綸旨をもらうことが必要でした。全国各地から来た僧侶にとっては、どのように朝廷に参内し、綸旨をもらう手続きなど、まったくわからないことばかりでした。道正庵は、そうした各地から来た僧侶に対して、どのように参内し、どのように綸旨発給のための手続きをするのか、などの手ほどきをしていたのです。さらに、僧侶への手ほどきだけでなく、京都に来た僧侶の宿泊先として、道正庵を提供していました。

道正庵の役割で、もうひとつ重要なことが、秘伝薬の製造と販売でした。道正庵が製造・販売をしていた秘伝薬が、「神仙解毒万病円」です。道正庵は、参内のため宿泊した僧を介して、この秘伝薬を全国の曹洞宗寺院に独占的に販売していたのです。その効能書には、人間だけでなく、牛や馬などの動物にも効く万能薬であることや、処方の仕方などがこと細かく書かれてあります。

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この秘伝薬は、実は道正庵の初代の木下道正が日本の稲荷神より中国の地で伝授されたものでした。道正は、貞応二年(1223)に道元禅師とともに入宋し、天童山景德寺にて如浄禅師に参じたとされます。その後、道元禅師とともに中国を旅しました。ある時、道元禅師が旅の途中、重病になり倒れてしまいました。その時、ひとりの老人が現れて一丸薬を道正に与え、道正がこれを道元禅師の口に入れると、たちまちに道元禅師は回復されたといいます。この老人こそが、日本の稲荷神でした。稲荷神は、道元禅師を救うため現れたことを告げたといいます。そして、道正は稲荷神に乞い、一丸薬の製法を伝授してもらいます。この時伝授された一丸薬が、「神仙解毒万病円」というわけです。

日本の稲荷神は、豊作の神として知られていますが、曹洞宗や道元禅師にとっては、道元禅師の命を救ってくれた医療の神として信じられています。このたびは日本の宗教と医療に関する話でしたが、日本の神が中国まで出現するなど、国際感覚の漂う面白いエピソードといえるでしょう。

(日本文化学科 皆川 義孝)

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