卒業生インタビュー ~青年海外協力隊員新野佐和子さんにきく~ Part 1

2015年3月に国際文化学科を卒業した新野佐和子さんは、同年秋から青年海外協力隊員としてペルーに赴任しています。既に3回報告を掲載しましたが、学校が休みになるこの時期を利用して、インタビューに答えてもらいました。

Q 4年間の大学生活で何に力を入れましたか? いちばんの思い出は?

大学生活で私が力を入れたことは、2つあります。第1は、学内サークルであるK-FRIP(国際協力研究会)の立ち上げと、その活動です。私は中学生の頃から国際協力に関心があり、大学では具体的に活動したいと考えていました。しかし、当時の大学には、私が考えていたようなサークルや部活はありませんでした。他大学の活動に参加するかどうか決めかねていたところ、同じ想いを抱いている2人の友人に出会い、3人で協力してK-FRIPを設立することになりました。活動の主旨や内容を先生方に理解して頂くことに苦労しましたが、協力して何かを作る楽しさとやりがいを日々感じていました。私たちが卒業して約2年が経ちますが、後輩がK-FRIPを引き継いで活動しています。非常に嬉しいことですし、キラキラ輝いて活動する彼女たちを誇らしく思います。

  • 学生時代 国際協力研究会K-FRIPのメンバーと
    学生時代 国際協力研究会K-FRIPのメンバーと

第2は、英語の教員免許取得を目指した教職課程です。1年次の説明会で、担当の先生が言われました。「教職課程は決して楽なものではなく、受講するだけで教員免許がとれるわけではない。その代わり、やり遂げれば大きな達成感を得て卒業できるはずだ」。この言葉が強く印象に残り、受講を決めました。教職課程に取り組んでみると、その言葉どおりであると実感しました。特に3年次の「英語科教科教育法」では、模擬授業が毎週課せられるので、教職課程の友人たちと毎日のように遅くまで大学に残って準備しました。模擬授業が終わると、お互いの授業について徹底的に話し合い、次に向けて再スタートするのでした。その頃、私の頭は英語や英語の授業でいっぱいで、楽な日々を過ごすことなど全く考えられませんでした。しかし、思い返してみると、貴重で素晴らしい学習ができたこと、そして同じ想いの友人と出会い、今でも深い絆で結ばれていることは本当に幸せなことです。

  • 英語教育を熱心に研究した太田ゼミ
    英語教育を熱心に研究した太田ゼミ

Q 大学時代に海外体験はありましたか?

1年次にニュージーランドのオークランド、2年次にカナダのバンクーバーに、1か月ずつ語学留学をしました。3年次の冬には、メキシコ旅行に出かけました。オークランドは、私にとって初めての海外経験でした。個人で参加したので知り合いもなく不安でしたが、初めての出会いが刺激的で、様々な国の人々や文化に囲まれて楽しく過ごすことができました。バンクーバーの語学クラスには南米出身者が多く、南米の文化や音楽に興味を持つきっかけとなりました。メキシコでは首都ですら英語が通じず、とても困りました。それが、スペイン語学習への強い動機づけとなり、中南米の文化をもっと見たい、もっと知りたいと思うようになりました。

Q 青年海外協力隊で海外へ行くことを希望するようになったのは、いつ頃でしたか?きっかけはありましたか?

中学生の頃、国際協力について興味を抱きました。青年海外協力隊についても調べ、いつか参加してみたいと思うようになりました。協力隊への応募を決めたのは、4年生になってからです。大学の先生から協力隊の活動について説明を受けたこともありますが、協力隊の現役やOBの方々にお会いし、活動の実際について聞く機会を得たことで、協力隊への想いがふくらんでいきました。4年生になり、国際協力の現場が見たい、小さな村に溶け込みながら活動したいと考え、協力隊への応募を決めました。

Q 狭き門だったと思いますが、応募してから派遣されるまでの流れを教えてください。

青年海外協力隊の募集は年に2度あり、私は秋の募集に応募しました。11月に応募し、12月上旬に書類審査の結果が届きました。健康診断・二次試験(面接)を経て、2月に合格通知を頂きました。私の職種は「コミュニティ開発」で、派遣候補者の一部は3週間の地方研修に参加し、全員が東京で5日間の技術補完研修を受けます。私は両方の研修を受けることになり、5月末より鹿児島で3週間の研修に入りました。そこでは、ある地域を対象に住民と接したり、地域を周ったりしながらフィールド調査を行いました。この研修は、私にとって貴重な経験となり、活動の基盤となっています。

技術補完研修が終わると、7月から70日間、長野県の駒ケ根訓練所で、語学を中心に、健康や安全、活動手法、日本文化など、ボランティアとして活動するために必要な事柄を学びます。この訓練を経て、協力隊員候補生から協力隊員となることができます。ここでは語学漬けの毎日でしたが、多くを学び、多くの仲間を得て、かけがえのない日々を過ごすことができました。9月中旬に訓練を終えると、各地方自治体(県と市町村)への表敬訪問を行い、訓練終了後10日間から1か月の間に、それぞれの任地へ出発となりました。

Q 派遣先がペルーに決まったときはどのような気持ちでしたか? どんな準備をしましたか?

中米・南米地域のスペイン語圏への派遣が希望で、第一希望はペルーでした。希望が通る可能性はそれほど高くはないと聞いていたので、ペルーに決まった時にはとても嬉しく安心しました。準備期間が8か月ほどあったので、とにかく語学の勉強に励み、ペルーという国について調べたり、開発系の本を読んだりしていました。

Q 友人たちの就職先が決まっていく中、青年海外協力隊に参加しようと決心するまでの葛藤、その後の勉強方法など、次の世代へのアドバイスはありますか。

卒業後は大学院に進学しようと考えていたので、2年次からは協力隊と進学に向けての受験勉強に取り組みました。第一条件である英語は、毎日欠かさずに勉強しました。受験の結果が判明するのは、どちらも4年次の2月だったので、多くの友人が次々と就職先から内定をもらい、進路というプレッシャーから解放されていくのを目の当たりにすると、焦りを感じたこともありました。しかし、他にも一般的な就職以外の道に進もうとしている友人がいたことで勇気づけられました。

日々の達成目標を設定して勉強に取り組み、英文添削や理解できない事項については、大学の先生方に助けて頂きました。独りで黙々と勉強することも大切ですが、分からないことは恥ずかしがらずに質問することをお勧めします。分からないことを放置することが一番良くないことだ、と私は思います。


ここまでは、大学生活と協力隊員として派遣されるまでのことをお聞きしました。派遣後のお話しは、次回にPart 2としてお届けいたします。

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